この記事では「夏の庭 The Friends(著者:湯本香樹実)」で読書感想文を書く時のポイントを紹介しています。
また、一緒に「夏の庭 The Friendsの読書感想文例文(中学生・高校生向け)」も紹介していますので、参考にしてくださいね。
子どもたちの成長を描いた作品ですが、大人にもオススメ。最後は涙ものですよ。短めなのでサクッと読めるのも○です!
夏の庭の登場人物
ぼく(木山):小学6年の普通の男の子。祖父を亡くしたことがきっかけで、死について興味を抱く。また、友人の山下からの葬式の話により、近所のおじいさんを観察し死の本質を探ろうとする。
山下:木山のクラスメイト。祖母の葬式の話を友人にしたことがきっかけで、死について好奇心を持ち始める。太った体型の強気な性格。
河辺:木山・山下のクラスメイトであり同級生。やせ細った弱気な性格。死に興味を持った木山に、近所のおじいさんを観察しようと話を持ち掛ける。
おじいさん…木山、河辺が通う学習塾の近くに住む一人暮らしの老人。ほとんど外出はしないが、週に数回コンビニに必要なものを買いに行く。近所づきあいは全くない頑固で暗い性格だったが、木山達と話すようになってから徐々に積極的になっていく。
夏の庭のあらすじ(簡単な話の内容)
小学6年の木山は、クラスメイトから祖母の葬式の話を聞かされたことをきっかけに「死とは何か」について考えていた。
それを聞いた木山の友人である河辺が、近所にいる独り暮らしのおじいさんが死ぬのを目撃しようと提案したことで、木山、河辺、そして山下の3人は、単なる好奇心でおじいさんを観察することに。
最初は素直に見張っていたが、おじいさんの手伝いをするうちに彼らは心を開いていく。
そんな彼らに、おじいさんは自らの過去を語り始める。
戦争中、ジャングルの中で女性を殺してしまったこと。
終戦以来奥さんとは疎遠状態だということ。
話を聞いた3人は、おじいさんからかつての妻である古香弥生という女性の存在を聞き出し、彼女の居場所を突き止める。
が、彼女は認知症になってしまっており、「私の夫はもう死んだのよ」と言い張り再会を断る。
それでも彼らは別の老婦人に、弥生さんとしておじいさんと話してほしいと頼みこむ。
嘘はすぐにばれてしまうのだが、ふたりは故郷の話をしながら穏やかな時を過ごす。
しかし、夏の終わりにおじいさんが亡くなってしまう。
葬式でおじいさんの本当の想いを知り中学生となった木山は、死が意味する真実に気づく。
偶然出会った3人の小学生と1人の老人。
愛とは?死とは?
私たちが忘れかけている“目に見えないもの”が溢れ出る奇跡の友情。
「夏の庭」は映画化もされています。日本版「スタンド・バイ・ミー」といった感じでしょうか。スタンド・バイ・ミーが好きな人なら面白いと思いますよ♪
本のテーマ(主題・キーワード)
・友情、友達
・生と死、命の大切さ
読書感想文の書き方やコツ
小学生の冒険話ではなく、おじいさんとの交流を通した発見があるので、彼らの関係がどうなっていくかを中学生の目線で書く。
小学生とおじいさんという全く年代や環境が異なる登場人物なので、価値観の違いや境遇の違いにも気を付ける。
また、死とは何かという哲学的な問いにもできるだけ実体験をもとに意見を書く。
親戚等のお葬式に出たことがある人は、その時のエピソードについて書いてみるのもありです。(もちろん、辛い思い出なら無理に書くことはありません)
読書感想文例文(中学生向け2000文字以内)
題名(タイトル):だれかの死からの贈りもの
「死ぬのは怖くていやだ。」
これは、今を生きている私たちが無意識に考えていることだろう。しかし、死というものは隣にある。ミエナイモノほど、意外と近くに存在するものなのだ。今心臓が動いて呼吸ができていても、1分後には心臓発作などの急病になって死んでしまうかもしれない。また、何も考えずにボーっと歩いていたら、前後から車に突っ込まれて交通事故に遭ってしまうかもしれない。
これらは「~かもしれない」という起こる可能性が低い現象だけれど、これはすべて今日本全国で沸騰するように起きている。また、普段健康な人ほど、明日突然死することだってあるのだ。今の日本の教育で、死についてどれほど扱っているのかは分からないが、死は、見えないだけで確実に私たちのそばに存在するのだ。
小学生で亡くなったら可哀想、老人や高齢者だったら大往生。そんなことは絶対にない。難病ドラマのヒロインのセリフをひとつ引用するなら、「年取ってしわくちゃになって、ボロボロになるまで生きるのかっこいいじゃない!」と声を大にして言いたい。
小さいころから入院生活だった子供が、死に向かっているときの状況と、寝たきりの高齢者が臨終に向かう状況は、よく似ている。小学生でも、「自分の人生はもう満足した」と納得して死んでいく人がいるし、反対に高齢者の方でも、「まだまだ生きたい!」と強い思いがあるのに、身体が言うことを聞かず結局亡くなってしまうケースもあるだろう。
その人に対しての想いや思い出が溢れ出て、「まだ死なないで!!」と手を握って、目を真っ赤に腫らせて泣きじゃくる子供がたくさんいるのが、自然の摂理だろう。
たしかに、家族や恋人などの大切な人が、病気や突然の事故で死に直面してしまう状況なんていうのは、ドラマだけの話ではなく現実世界で常に起こっている現象だ。ここで、みなさんにひとつ質問をしてみたい。亡くなったひとの身体に触れたことはあるだろうか。ここからは、実体験を話すことにする。
私の祖母は、釣りをしていた時に急に倒れ、目の焦点が合っておらず言葉遣いもおかしかった。救急病院に搬送されて、診断を待っているとき。当時13歳だった私は、体の震えが止まらなかったのを今でもはっきりと覚えている。
「ばあちゃん、死ぬのかな・・・」
と、死という文字が一瞬よぎり、身体がこわばったのだ。結果、脳出血で後遺症が残り、祖母は今までとは真逆の性格になってしまった。トイレ以外はベッドの上から動かなくなり、面倒くさがりで失語症という言葉がでてこない症状があった。
結果、半年後に祖母は自宅で転倒してしまう。今まで全く動かなかったことが原因で、筋肉が固まった状態だったのだろう。病院で検査を受けた結果、太ももの付け根である骨を骨折していた。そこからの衰退化は怖いほど早かった。
病院食を全く食べず、点滴で栄養を摂っている状態が半年近く続き、最期は自宅で親戚を含む家族全員で見守って、祖母は亡くなった。遺体を触ったとき、私はただただ驚いた。氷のように冷たく、固まっていた。全く動かず、まるで祖母だけが時が止まっているかのような、そんな世界にいた。
祖母が亡くなっても、不思議と私は悲しいという気持ちがあまりなかった。葬式で祖母の顔を見ても、祖母だという認識がなく他人のような感覚があった。しかし、骨拾いの時に確信した。
「ああ、ばあちゃんだ。」と。
横から見たら顎が出っ張っているのがよくわかっていたので、見たときに、「ああ、もうおばあちゃんはいないんだな」と悟り、自然に涙があふれてきたのをよく覚えている。
この体験から言えることは、「人の死は、決して悲しいことじゃない。思いっきり泣いたら、また生きる活力になってくれる」という確信だ。「だれかのために。」この想いがもたらすパワーやエネルギーは計り知れない。
この本から学んだこと。死は、決して怖いものじゃない。今この瞬間を生きているわたしたちに、かならず起こる隣にあるもので、最後は、誰かのために生きるという活力に変わってくれるという教訓である。
この感想文のように「誰かの死に関わった経験」があるなら、その時のエピソードを書いてみるのもオススメですよ。
*パクり、無断転載、丸写し、コピペ等は禁止ですよ。自分で考えて書きましょうね。
夏の庭の読書感想文まとめ
いかがだったでしょうか?
「夏の庭」は死と向かう作品でもあります。
中学生・高校生なら「親戚の葬式」などに出たことがある人もいるでしょう。
そういったエピソードを思い出してみると、感想文が書きやすいですよ。
頑張ってくださいね。
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